2026/1/20 article

AIファーストの前に自分ファーストであれ~養老孟司『ものがわかるということ』を読んで~(コラム)

2026年AIファーストの前に考えるべき、AIを使ってものごとをわかるために必要なこと

2025年、「ググる」ことをしなくなって感じた情報価値の低下問題

こんにちは、EXDREAMアシスタントの中野です。

2025年、突如生活にAIが普及し始め、AIコンサルタントという業務を始めたわたしの行動においても変化がありました。
それはGoogleで検索するよりもAIに聞くことが多くなったということです。
その結果、時間あたりに得られる回答の数は増えましたが、情報の品質が下がったような違和感を覚えました。
そして結局は、自分の体験や感情を通した一次情報がないままでは、情報としての価値へ昇華することは難しいのではないかと感じるようになりました。

これは、AIを本格的に学び始めて約半年の筆者がとある1冊の本を読んで学んだことを語るコラムです。
気軽な読み物としてご覧いただけますと幸いです。

養老孟司さんの『ものがわかるということ』を読んで感じた落胆の正体

2026年にかけて、わたしはCEOの斎藤から借りた養老孟司さんの『ものがわかるということ』を読みました。
その冒頭で、わかるという瞬間は一生こないというようなことが語られていました。
AIを使って未知なことをすべてわかりたいともがいていた私はその一文に引き込まれ、2026年最初に読み終わり2025年最後に読んだ本はこの本となりました。

結論から言えば、この本は「ものがわかるということ」を言語化して定義することは難しいと語られています。
じゃあ一生なにもわからないのか、と言えば「わかるとしたら、共鳴でしかない」とも語られています。

私が最初に思ったことは、結局ものごとを100%理解できることなんてないのか、という落胆とも似た気持ちでした。

なぜなら、私たちが生きるAI時代は、すべてが言語化され、言語を通してしかAIを使うこともできないからです。
この本を読んで、私たちはAIを通してどこまでわかると言えるのか、そしてAIを通してものごとをわかると言えるには、どのようなことが必要なのかということについて新たに疑問を感じました。

AIを使えば「理解できる」と思い、プライベートでも仕事でも使い続けた

わたしは2025年の5月頃から本格的にAIを使い、学び始めました。
ChatGPTを利用しはじめたは2024年10月頃は、ChatGPTに人生相談をする程度しかAIチャットの利用方法を知りませんでした。
その後、EXDREAMの一員としてビジネスへのAI活用方法や壁打ちの仕方を覚えるにつれ、リサーチや資料作成をAIに指示を出して日常的に行うようになりました。

AIで調べればそれなりの答えが返ってきます。
検索の手間はかなり減り、私は「まるで世界が拡張されたようだ」と喜んで使いました。
便利になったのは確かです。ところが同時に、別の感覚も生まれました。

それは、「わかった気がするのに、理解できていない」という感覚です。

AIの速さがいつのまにか私の能力を超えたと感じた

わたしの「理解できていない」感覚はどこからきたのでしょうか?
AIは驚くほど速く、整った文章を書きます。
おそらくその自分をも超える異常な速さがわたしの理解能力にかかる速度を超えてしまったのかもしれません。

例えばこんなことでAIの速さを日常的に実感しています。

まず、私はClaudeなしではお客様への正式な返信文すら書くことができなくなっていました。
自分が素案を書いたとしても、AIにチェックしてもらい、失礼がないかどうか、他に良い言い回しがないかなどを指摘してもらうようにもなりました。

そして、Googleで調べものをするときも、検索結果の各ページを開くことは少なく、トップページに表示される「AIモード」で生成される回答を先に読むようになりました。

さらに、今ではExcelもCopilotやClaudeで操作できます。
昔、私が特技だと言っていた関数の入力やピボットテーブルの作成なんてものは、AIへの指示の仕方さえ知っていれば誰にでも同じようにできるものになりつつあります。

Excelの資格を全て取得している私ですが、そのことを堂々と履歴書に書くのが恥ずかしい時代になってしまったのかもしれないと落ち込みました。

資料作成も同様です。私が1時間かけて作るものを、AIは数十秒で、それっぽい完成品にしてしまいます。
しかもAIが文章を生成してる間、私は画面を見てぼーっとしていても、席を立ってみかんを取りに行ってもいいのです。
彼らは文句も言わず24時間私が指示すれば動き続けます。

AIに自分の能力を超えた範囲を任せた結果起こること

AIへの指示さえ正しく出すことができれば、私でなくても、もはや未経験者でも、「似たようなもの」を作成できてしまう。
つまり、AIのおかげで誰がやっても大差のない平均的なアウトプットを手に入れられる時代になりました。
そのアウトプットを本質的に理解でき使えるかは別ですが、作業としては置き換えられるということです。

では、同じアウトプットの中で差をつける価値とはなんなのだろうと考えた結果、その人しか体験していないこと、つまり一次情報であるという仮説に至りました。

私は業務でAIビジネスニュースをYoutubeで発信しており、AIツールを使ってニュースを分析したり台本を作成したりしています。
ですが実際、台本を見返したり、実際に口に出してみると、文のつながりが不自然で、自分で聞いてもよく分からないことがよく起きます。
自分では絶対に使わない言い回しや、不自然な記号が入っていることもあり、よくよく見ればAIが書いた文章の特徴が透けて見えます。
なぜこの順番なのか、なぜこの結論なのか説得力がない、そしてたまに平気で嘘も混ざっています。

「なぜこんなに変な文章なのか」、「伝わりにくい文章なのか」と考えた結果、AIがまとめた要約を、私がそれらしく並べていただけだったのかもしれないと反省しました。

次第に、自分にできないことや自分の能力を超えていることは、AIに任せたとしても平均以下のアウトプットしか出せないのではないかと気付きました。

この状態が続くと、仕事が「作業」に変わります。
わかろうとするほどわからない。作業だけが増える。
わたしは透明なビニール袋を何重にも巻き付けられたような窮屈さを感じました。
確実にスピードは出ているのに、自分の中には何も積み上がっていないような、ストレスフルな感覚を覚えました。